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ロハス・スピリチュアルに生きる!
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ブログのきっかけは、壊されつつある自然、自然の産物が粗末にされている現状などを目の当たりにするたび、心が痛むのに何もできない(していない)自分を感じたこと。
「美と健康」「趣味(プロフィール参照)」の話もしたいです。
まずは情報発信をして、同じ波長の人がたくさん増えてくれればいいな、と。
皆さん、遊びに来てくださいね。
多くのコメントお待ちしています。
仕事上のHPです→http://www7b.biglobe.ne.jp/~space-ma123/

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髪(頭皮)&自然&財布にやさしいシャンプーリンスを探して。

2009/04/06 00:45
髪(頭皮)&自然環境&財布にやさしいシャンプーとリンス。
いいものは、お金をだせばたくさんあるのだろうけど、エコの観点からも“安くていいもの”を探している。

数ヶ月前からたまに、無添加の固形石鹸で洗い、酢リンスを試してみている。
市販のものよりはいいよ。
総合評価はまあまあかな。

このたび、市販だが自然派ぽい“椿シャンプー(リンス効果もあり)”というものを使ってみた。
総合評価、結構いいーー。
シャンプーだけでリンスやトリートメントをしなくても髪がしっとりサラサラまとまりやすい。
泡立ちが市販のメジャーなものよりよくない(自分的には十分な泡立ち)→これはいいこと!つまり洗浄効果が強すぎず、肌に優しいということだから。

今度、フェレちゃんのシャンプーを使ってみるつもりでいる。
だって、「フェレットの皮膚が荒れないよう、人間用のものは使用せず、フェレット専用シャンプーを使いましょう」って。
ということは、髪や皮膚にやさしいのは、「人間用<フェレット用」ということになるものね。
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映画「いのちの食べかた」 食は命を頂くことです

2008/03/21 14:38
「いのちの食べかた」という映画を、ひとりでも多くの人にみてほしいです。


まだ見ていないが、情報をみる限り、manaがこれまでに訴えてきたことを考えさせてくれる作品のように思います。

上映先は公式ホームページのtheaterをクリックすれば見れます。

北海道は、苫小牧で5月10日以降に上映されるようなので、ちょっと遠出ですが見に行こうと思っています。

3/22追記 : 「4月5日から、札幌では、シアターキノで上映」との情報を頂きました。


下記からアクセスして、情報をみて頂き、映画館に足を運んでいただき、ひとりでも多くの方々が、食と命について考えてくれればいいなと感じました。

http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/main/wmv/movie.asx

(C)「いのちの食べかた」オフィシャルサイト
監督:ニコラウス・ゲイハルター
2005年オーストリア・ドイツ映画・92分
配給:エスパース・サロウ
公式ホームページ:http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/


http://www.j-cast.com/tv/2007/10/16012212.html

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大食い番組に一言!

2007/12/23 15:31
最近、ギャル曽根を代表とする大食い番組がよくあります。

番組自体がすべて悪いとは言わないけれど、放送の仕方から感じるマスコミの姿勢や、食のマナーのなっていない大食い者達(汚い食べ方、多量に残すなど)には、ほんと不快感を覚えます。


例えば、今日もたまたまつけた番組でこういうのをやっていました。

番組名:サンデー・ジャポン(HBCテレビ放送)
内 容:大食い美女図鑑
     大食いで華奢な女性が、体の大きい男性と、大食い競争をするというもの。
     結果は、女性がすんなり完食し、対戦相手の男性がたくさん残して惨敗していた。


manaの考えと憤り

基本的な考えとして、食物は、動物・植物の命であり、それを頂いて、私達人間は生かして頂いているという感謝の心を常に持っているべきである。
また、食が料理として自分の目の前に来るまでには、多くの人の労力や気持ちがある(例えば、米を作っている農家さんとか、料理をしている調理人達とかetc)

世の中には、食べるものがなくて餓死する人がたくさんいる現状がある。何不自由なく食せる自分達の幸せを感謝するべきである。



上記のような考えをしっかりもっていれば、こういった番組自体が全く低俗で人の理に反したものだとわかるはずである。

元来の体質が大食いであるがために、大食いしてしまうこと自体は悪いとは言わない。大食い者も多種多様で、おいしそうに、そしてきれいに残さずに食べている大食い者はよしとしよう。

しかし、上記した番組では、競争で多量の料理が残されていた。
以前、ほかの番組で、「残った料理はスタッフ全員で頂きました」という但し書きをして放送していたところがあった。
こういう姿勢ならまだ許せるが、今日の放送ではそうしているとは到底思えなかった(大皿ものは汚い食べ方で残している、自分の皿に取寄せるものも、たくさんとって食べかけで残していた)。

こういう番組内容を考え放送すること自体に賛成できないのはもちろんだが、百歩譲って放送自体はよしとしても、上記の番組での放送の仕方には、全く不快感を覚えた。
コメントをいうタレント達からも、こういったことに疑問を呈するような発言をする人はいない。
テレビ局として、番組の最後に上記のというようなメッセージを伝えるという配慮もない。これは単に配慮が欠けているという問題ではなく、基本的にそういった意識がないからそういったメッセージが必要という観点がでてこないのだと思う。


マスコミも個人も、自分のことばかり、目先のことばかりじゃなく、他の動植物のこと、他の人のこと、もっと大きくは地球規模、自然界全体の中で物事をみてくださいよ!
そして、何に対してもそうだが、常に感謝の心をもってくださいよ!





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ブッダを読んで感じたこと〜命を大切にする〜

2007/10/28 00:46
以前、手塚治虫のブッダ、人から「一度読んでみたらいい」と言われていた。
いつもいく図書館でたまたまみかけ、1〜4巻まで予約待ちをしたのが揃ったので、今日とりに行った。
ちょっとだけ読むつもりが、すごくおもしろくて2時間半くらいで全部読んでしまった。
果たして何巻まででているのかも知らないけど、5巻以降を予約してこなかったことが悔やまれる…

1〜4巻は、ブッダが差別社会の中で、社会情勢、まわりの人間・動物などとの関わりやその生死、師との出会い、各種苦行と言われることの実行等々を通じて、悟りを見出すところまでが描かれている。

その中で、特に響いてきた内容

世の中の生き物(人間も動物も植物も虫も同じ命)はすべてつながっているということ。

狼に育てられた人間が無駄に動物を殺してしまった場面で、「動物は無駄な殺生は決してしない、トラであっても満腹の時は他の動物を襲わない、それが自然の掟であり、自分達の都合で生き物を殺すのは人間だけだ」、という動物からの人間への批判の場面。


そんな内容を一気に読みながら、manaが改めて思ったこと。

やはり、食は殺生だということ。
人間がいかに自分勝手に、食のために自分のからだを維持していく必要を超えた殺生をしているかという現状。

自らの欲求を満たす為に、豊食を身をまかせ、時には自らの命を削るほどに食べ過ぎているのが現代人だと思う。
manaも例外ではない、同様だ。

これまでmanaが勉強してきた知識によると、生活習慣病といわれるものはもちろんだが、それ以外にも、一見関係のないと思われる皮膚病や一部の難病や腰痛までもが、食の過剰摂取や偏食による胃腸、肝臓、膵臓をはじめとする内臓の負担増・機能低下、それに伴う老廃物の体内蓄積や体の歪みなどが原因の大きなひとつになっている。

多くの人が少食をしようと思うときの第一の動機は、そういった病気を防ぎ(または治し)健康でありたい為、そして、ダイエット目的などが主だろう。
manaにもそういう側面があることも事実。
でも、これは自分本位の動機・目的だ。
もちろん、これを目的にすることも悪いことではない。
自分のからだを大切にすることは、自らの命を大切にすることだから。

でも、自分と同じように他の命も大切にすることを少食達成の動機・目的として、心の底から感じることが根本になくてはならないと思う。
私たちが生きる糧としている食は、他の生き物の命が犠牲になっているのだから。


manaは、質のよい少食(注:豊食な現代社会では、生命維持に必要な食は少食となる、貧困の社会なら別な表現になる)を一生の習慣にしたいと望んでいる。

少食〜manaも含め、おおかたの人間にとって、短期間は頑張れたとしても一生の習慣にすることは困難を極めることであろう。
もし簡単なことであるなら、ダイエットに失敗したり、生活習慣病になったり、内臓の弱っている現代人がこれほど多いという現状はないのだから。

では、なぜ難しいのか。
物足りなさや空腹感などの欲求に負けたり、視覚・嗅覚・周囲からの誘惑に負けたり、ストレスなどで食欲の中枢が乱れていたり、砂糖など嗜好品の身体依存があったり、頭で考えた知識から栄養素的にあとコレとコレを食べたほうがいいなどと考えたり、長年の習慣で空腹じゃないにもかかわらず1日に何食とるかという点を優先したり、宴会などのつきあいがあったり、、、

おいしいものを食べる、この楽しみを好き好んで捨てる必要はない、人生楽しまなきゃという声もよく聞く。
それもそうか、、と思って、時に“じゃあ食を謳歌しよう”と行動する自分もあった。
でも、やっぱりそれは3次元レベルの俗な欲求にすぎないのではないかと、このブッダを読んで改めて感じたから、、、

manaはこれを自分の苦行として、七転び八起きでもいいからトライし続けていこうと決意した。

豊食社会の中、自分のからだ(命)も、他の生き物の命も大切にできる苦行だなんて、こんな素敵な苦行にトライできる環境にいる自分は幸せです。




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物との縁に感謝。

2007/07/22 05:22
人との縁があるように、物との縁もあると思います

例えば、ペットボトル飲料ひとつとったって、ものすごい数が生産されています。
そして、自分が手にしているペットボトルが、そのうちの1本って考えるとすごくないですか。
中に入っている水さんだって、マナのところに来る前には、どこに流れていたんだろう?って考えると、途方もない縁を感じます。

例えば、衣服。
これも、同じ製品がたくさん作られている中のひとつが、縁あってマナのところへやってきてくれました。
そして、その生地に使われている綿花だって、たくさん育っている中のほんのほんの一部。
そう考えたら、このお洋服との出会いもすごい縁です。

例えば、コピー用紙。
これだって、何千枚、、いや何兆枚が作られているかわかりません。
その中のほんのほんの一部をマナは購入したのです。
そして、原料の木は、この紙に加工される前は生きていたんです。
マナが手にした紙になってくれた「木さん」もたくさんある中の1本だったのです。
これって、すごい確率ですよ。


こんなふうに、どんなに小さなものだって、自分との縁を頂いて手にしているんだなーとしみじみ感じます。

そう考えていくと、マナのところにきてくれた物さん達がとてもいとおしく、ありがたく、感謝でいっぱいになります

ありがとう






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天職。

2007/04/30 00:14
「天職は何?」って探していたけど、現在読んでいる本によってそれがクリアになったよ
すごくいい内容なので、ちょっと長くなるけど抜粋(一部省略)して紹介します

書籍名:人生に必要な荷物いらない荷物A
著者:ディック・J・ライダー、デイブ・A・サピーロ共著


タクシーの中での運転手との話

運転手「それで、なんの用でこの町に?」彼(運転手)は尋ねてきた。
「講演でね。ビジネスマンに話をするんだ」
「それはそれは!なんの講演で?」
「自分の人生の天職に耳を傾けて、従うっていうテーマ。それにはやるように生まれついた仕事をしなさいってこと」と簡単に答えた。
運転手はふんと鼻で笑った。「そいつはいいや。寝ているあいだに、どうやって百万ドル稼ぐかって話だね?」
この発言は私の注意をぐっとつかんだ。「信じてないようだね」
「おやおや、どう返事しなくちゃいけないのかい?人生の“天職”だって?いい加減にしてくれよ。俺はごらんのとおりのタクシーの運転手さ。これと天職とやらと、どういう関係があるんだい?」
「君はタクシーを運転するために生まれてきたんではないんだね?」
彼は声をたてて笑った。
「でも自分の仕事はけっこう好きなんだろ?」
彼は肩をすくめた。「そういうときもあるだろうさ」
「へえ、おもしろい。それはどういった“とき”なんだい?」
「仕事からあがる時間以外でかい?」
「真面目に聞いているんだ。この仕事で、金のほかに、満足だと感じるのはどういうこと?君が朝、寝床から起き出す理由さ」
運転手は唇をゆがめ、皮肉を言いたげだったがやめた。少しずつ表情がゆるみ、小声で笑うと、彼はこう言った。「そうだな、あのおばあさんだな」
私はじっと、彼の言葉に耳を傾けた。
「週に二、三回電話がかかってくる。おばあさんを迎えにいって、スーパーまで連れていってやるんだ。買い物っていっても、二、三品さ。で、アパートに送って、買ったものを運ぶのを手伝ってやる。台所で包みを開いたりさ。ときどき、コーヒーでもいかが、と言ってくれるよ。たいしたことじゃない。おばあさんが俺の名前を知っているかさえわからない。でも、俺は彼女の運転手なんだ。おばあさんがタクシーを呼ぶときは、いつでも俺が迎えにいくんだよ」
どうしてなのだろう?「チップがいいのかい?」と私。
「いや、そんなことないな。何も特別なことはないんだ。よくわかんないけど、おばあさんの手助けをするってことかな。それでいい気分になるんだ。だれかの暮らしに、自分が役立っているって気がするのかもしれないな。だれかが自分を必要としている、みたいな。手伝うのが好きなんだな」
「それがまさに君の天職じゃないか」私は言った。
「なんだって?」彼はにやにや顔に戻った。「スーパーの包みを開けることがかい?」
「君は『手伝うのが好きだ』と言っただろ?天職が、かなりはっきり表れているじゃないか」
彼は顔中でにっこりした。「なんてこった、そうかもしれないな。だいたいの時間は、ただのタクシーの運転手をやっているが、だれかを手伝ってやれるときにゃ、そいつがトンマかバカでないかぎり、この仕事をしていてよかったな、と思うんだ。ってことは、つまりこれが俺の天職ってわけか」
それから目的地に着くまでの短いあいだ、彼はずっと静かだった。しかし、バックミラーに映った顔は、下町の交通渋滞に巻き込まれたときでさえ、ずっと笑顔だった。

 今、何をやっていようと、私たち一人ひとりに天職がある。もちろん、歌手やスポーツ選手といった種類の仕事が、より自然にその人の天職を活かせるということもあるだろう。しかし、どんな仕事でも、自分の生まれつきの才能を活かしたいという思いをかなえてくれる機会がある。
 仕事での充足感、つまり究極的には人生での充足感は、この機会をどのぐらい活かせるかによっても決まってくるだろう。そのためには、自分の「天職からの電話」に耳を傾ける、つまり具体的に何に耳を傾ければいいか学ぶ必要がある。このタクシーの運転手のように、自分の天職が本当はなんなのかを知らなくてはならない。「自分の天職はこれだ」と見定める必要があるのだ。


この部分を読んで、mana自身の「天職からの電話」に耳を傾けてみたよ

小さな時から正義感が強くて、社会的弱者、もしくは社会的に迫害されているような人達をなんとかしたいという思いが強かった。
例えば、障害をもった人々が暮らしにくい社会、人種差別を受けている人々、、、
こういったことがある社会に対して、「どうして?!」と怒りをもっていた

現在、看護師や健康と美の教室講師などをしているが、患者さんや生徒さんが嬉しそうな顔をしたり、お礼を言われると、こっちまで嬉しくなる。
決して、お礼を期待しているのではなくて、結果としてそういう反応(笑顔とか)が返ってくると、mana自身が幸せな気持ちになるのである

あと、地下鉄とかJRで席をゆずったりするのがどうやら好きなようである。
譲られた人が嬉しそうな表情をしてくれると、こっちが幸せになる

今回この本を読んで、こうやって振り返ってみて、こういったことがmanaの天職とつながっているんだと意識化できた
だから、こういった面を活かせれば、どんな職業でも天職になるんだ

これが、著者が上記に書いている「自分の生まれつきの才能を活かしたいという思いをかなえてくれる機会」って部分なんだろう。

素敵な本に出会えました
出会わせて頂けたことに、感謝の気持ちでいっぱいです〜ありがとうです
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一見弱いからだは、よく働くしっかりもの。

2007/01/24 18:57
幼少の頃から、からだが弱いほうでした←当時はそういうとらえ方でした。
小児喘息したり、家から車で2時間近くも離れた場所で流行した感染症にかかったり、、、

今も、ちょっと変なもの(悪い油で揚げた市販の唐揚げとか)を食べると吐きます。
ちょっとの食べすぎや睡眠不足で、体調のおかしさを感じます。

以前は、これらはからだが弱いから、、、と思っていました。
しかし、自然治癒力の学習をすすめていくなか、何時の頃からか、逆に、、、

これはからだがしっかり働いてくれているからだ!

と考えるようになりました


つまり、いち早く悪いものや異常を察知して、症状としてSOS状態を自分自身に教えてくれるということです。

現在読んでいる本(野口整体で有名な野口晴哉氏の本)で、その思いが裏づけされました
抜粋してちょっと紹介します


悪い物を食べて吐くのは、悪い物が入ったのだから吐くのです。だから吐いた場合には胃袋は丈夫だったのです。それが腸に行って下痢したら、それは腸が丈夫だったのです。吐いたり下したりしたから胃や腸が壊れたと思うのは、その体の持ち主の頭がどうかしているので、体からいえば自分の体に対して、吐いたら「胃袋よ、よくやった」と褒めなくてはいけない。
外路系運動の鈍い人達は、食べてから3日経ってあたった、というようなことがある。癌にしても脳溢血にしても肝硬変にしても、普段ちょくちょく風邪をひいたり下痢をしていない人達がやる。体が鈍っているためだが、鈍るというのは外路系運動の動き方が鈍いのです。



ちょくちょく、一見不快な症状によって、悪い物を教えてくれるからだは、実は弱いのではなく、

よく働くしっかりもののからだである!

ということです。

そんな働き者のからだに感謝し、お礼を言わなくてはいけないとつくづく思いました

昔のマナのように、自分はからだが弱いととらえている方がいらっしゃったら、ぜひ新たな認識をもってくださいね。
そして、よく働いてくれるしっかりものの自分のからだちゃんに、ありがとうって、毎日言いましょうよ
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精神病者のとらえ方、、、疑問です。

2007/01/08 14:09
いつの頃からか、ふとこんな疑問を思うことがある。

わけのわからないことを言ったり、幻覚を訴えたりetcの症状があって精神病院に入れられている人々・・・
果たしてこの人達は本当に精神病なのか?って。

単に、現在の人類社会思想とあまりにも相容れない精神状態であるがために、病気とみなされているだけなのではないか?

つまり、“今ある人類社会”と“本来自己”のはざまで、異端・ばか者扱いされ、病者にされてしまったのではないか?

もしくは、そうやって扱われたり、病院に入れられ不必要な投薬をされるうちに、本当に精神的におかしくなってしまったのではないか?

つまり、個人を根源とする病気ではなく、社会がその個人を許容できないがために生じた社会病的側面が強いんじゃないかと、、、

全員ではないかもしれないが、そういう人もいるのではないだろうか。


天才とバカは紙一重と言う。
いずれも、平均から極端に逸脱しているという共通点がある。

ユング心理学に詳しい精神病患者さんが医療従事者との会話でその話をすると、医療者側は全く理解できず返答に窮した”という話を聞いたことがある。
返答に窮しただけならいいが、自分が理解できないから、その患者はおかしいと判断する側面もあるだろう。

あまりにも、その人の精神世界がすすんでいるがために、私達のほうが理解できないだけ、、、という場合もあるのではないか?

いずれにしても、おかしいとか病気だとか決めつける前に、今ある人類の価値観や思想が絶対正しいともいえないから、その基準からだけで判断しないほうがいいと思うのです。


現在、ユング心理学関係の本を読んでいます。
その本によると
「ユングには、フロイトとは異なり、理性的な自我(意識)が無意識(影)をコントロールしなければならないという発想は存在しない」そうです。
※影とは、個人がこれまで生きることのできなかった心理的内容をさし、個人の日常的な価値観とはあいいれないものである

看護学生時代に習った心理学では、主にフロイトでしたが、ユングのほうが人間の全体を統合しているような気がしました。

心理学は、学べば学ぶほど深くて、わからなくなってきます。
そして、それだけ自分自身とも対峙しなくてはならなくなってきます。

学問で言えば、やっぱり心理学だけでは、語れない現象もあるのではないかと思うのです。
霊的(スピリチュアル)な側面が、絶対欠かせないように思うのです。

もしかしたら、例えば精神病患者さんの幻聴も、霊的には説明すれば、それが真実なのかもしれないのですから、、、
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お知らせ〜改名致します!!

2007/01/06 00:09
このたび、わたくし「あいる」は、改名することにしました

昨年の後半くらいから考えていて、他のサイトではもうそうしているのですが、新年をきっかけにこのブログでもそうすることにしました。

新しい名前は、「mana」です

理由は「実際に呼ばれているニックネームのひとつでもあるから」ということと、「もうひとつ大きな意味」があります。

manaという言葉には、次の意味があるのです。
だから、一生魂の進化を目指して生きたい自分にとって目指すところの名前であるし、また2007年を飛躍・達成の年にするぞーとの思いから、今この時点での改名を決めたのです

さて、その意味とは、、、

「自然の力を指す言葉」

「エジプトから命からがら逃れるイスラエルの民に、神が与えた食料」

「預言者が信徒に与えたとされる聖なる食物」

「命の食べ物、天の恵み」

「原始的な宗教で、神秘的な力、又は元素とされる概念」

「レヴィ=ストロースによれば、純粋の象徴であり、それゆえにいかなる象徴内容をも帯びることができる。それ自身は意味をもたず、それだけにまたどんな意味でも構わずに受け入れることができる」

「仏教の勉強に出て来る人間の意識ある部分の名称:マナ識」
※人間には第八識まであり、眼・鼻・耳・口・肌の五感は第一〜五識。   意識が第六識。第七識がマナ識。第八識がア−ラヤ識。
マナ識は、自我を司る場所で、フロイトの言う潜在意識とはここにあたると言われている。マナ識が静かだと煩悩に振り回されず、悟りの道へ歩きやすいと言われる。

「ハワイの言葉では、すごく神聖な意味で、生きる力・魂・月の精・宇宙エネルギー(気)・魔法など、宇宙に存在する”在るもの”を表す言葉として使われている」

新たな気持ちで、2007年頑張ります
皆さん、今後ともよろしくお願い致します

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2007年あけましておめでとうございます(^−^)。

2007/01/05 23:55
あけましておめでとうございます

2007年は、いい年になりそうです。
初夢、六星占術、おみくじ、全てがだったのです。

嬉しい〜

2006年後半は、いろいろあって、、、新しく仕事も開始したりとかもしたし、、、あまり書けませんでしたが、2007年はたくさん伝えたいメッセージ書くようにしたいです

最近、おさまにとても魅かれるmana( 旧名:あいる) です。
その神秘的で強くて崇高なパワーを頂いて、個人的には飛躍・達成の年にします
多くの皆様にとっても、素敵な年でありますように

地球規模では、2007年は、昨年に引き続き災害や信じられないような事件がたくさん起きるように思いますが、全ては地球からのメッセージだと思っています。
原因は、そこに住む人間達の「想念」だから、変えられるのも、同じく「想念」でしかないと思います
よい想念をもって、変えていきましょう
難しいことではない、自然を敬い自然に聴けばいいだけ、シンプルなことだと思うのです


皆様、今年もよろしくお願い致します
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食べ物への感謝〜殺生は最小限に。

2006/12/02 14:29
この映像、まずはぜひ見てください。
ひとりでも多くの人々に見ていただきたいのです。

題名は「ベジタリアンになる30の理由」というものですが、それとは関係なく、食する人間全てに関わる問題だと思うのです(約3分半の映像です)。

あいるがこれをみて、伝えたいメッセージは、、、
人間がいかに殺生をしているか、殺生とはどんなことか、そして自分の周りを振り返り、世の中が殺生した動物のからだをいかに粗末に扱っているか(食べ物を残したり、テレビ番組で粗末に扱ったり)などという現状を認識してほしいということです。

多くの人に、殺生というものがどういうことなのかを想像し理解してほしいと願っています。

あいるはベジタリアンではありません。
でも、普通に何も意識しないでいて、肉はほとんど食べません。
魚もあまり食べません。
なぜかわからないけど、自然にそうなっています。

でも出されれば食べます。
料理の種類によっては、買います。
外食でも食べます。
食べ方は、肉や魚だけでなく、食べ物全てに対してですが、絶対に粗末には扱いません。

肉や魚だけでなく植物も含め、食べ物は全て命です。

これまでも何度か書いているように、食するとは命をいただくことだから、私たちはそれら動植物の犠牲のもとに生かして頂いているのです。
だから、その殺生は最小限に、そして感謝の心で頂くことが大切、というのがあいるの基本スタンスです。


全ての食べ物に存在する命の尊さを思い、粗末にせず感謝の心で食してくださる方がひとりでも多く増えますように、、、その願いをこめて。

http://video.yahoo.com/video/play?vid=6634af33eb94e411bfbc01f5937c02e1.1272763&vback=Studio&vdone=<a%20href=


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少林寺拳法第35回北海道学生新人大会。

2006/11/20 04:10
昨日19日は、札幌学院大で学生新人大会があった。
あいるは、救護を担当。
今まで、札幌市民大会、全国大会と救護を担当して、今回で3回目。
いつも、I 先生が一緒だから、今日も・・・って思っていたら、当日ひとりだって判明(先生は審判)。
え−−−−−−−っ、ちょっと不安・・・て思ったけど、あいるが不安でどうする?!
安心して頂くためには、どっしり構えなきゃと切り替えてファイトー!!
大きなけが人なく、よかったよかった

救護の席は、会場の中で、アナウンスと進行と並んだ席。
なので、演武がずっと見れた〜\(~o~)/。

すごくよかったぁぁぁ

まず、一生懸命なのがいい!

参加していた拳士の武階は、三級〜三段。
どの武階でも、すばらしい演武の人や組がいて、武階はあくまでも目安だと感じたよ。
でも、さすがに三段の方々は、全員がすごかった 
OhーーNo(>_<)。あいるの最終目標は四段か六段。
三段でこんなにすごいってことは、かなり高い高い高いーーーーー目標だと気づいたんです。

皆、頑張ってたけど、特にすばらしかった演武の人や組の共通点はーー。
軸と重心が安定していてぶれない!
力みがなく、切れとスピードがある!
パターンのなぞりではなく、実践さながらである!
気合が入っていて、声も大きい!
立ち姿勢からりんとしているし、合掌礼が丁寧である!


あと、楽しかったのがアトラクション。
大学4年生(全員違う大学とのこと)の女の子2名と男の子6名で行われた。
7人が三段、1人が二段とのこと。

もちろん、演武はすばらしくて最高だったー感動

おもしろかったのは、女の子拳士1人と、帽子とひげをつけた男の子拳士1名で、ゲームマリオブラザーズの音楽での演武。
・女の子がつり革につかまってて、痴漢をやっつける。
・女の子にナイフを持って襲いかかろうとした悪人を一発で投げ飛ばす。
・あとをつけ、うしろから襲いかかろうとした変質者を一発でノックダウン。
女の子の技術はすごかったし、男の子の演技はめっちゃ楽しかった\(~o~)/。

思わず身を乗り出したのは、ダンスにもよく使う曲の中で演武した時。
ひとつはストリートダンス系の曲、もうひとつは今回あいるが出たダンス発表会でも使っていた曲
あいるは将来的に、ダンスと少林寺拳法の融合をしたいなぁなんて思っていたし、好きな曲が入ると、つい入りこんでいっちゃうんです。

かっこよかったのは、女の子1人が次々と男性陣6名を倒すもの。
あいるも早くあんな風になりたいよー。
早く復帰して頑張るぞー
っていっても、少林寺拳法は護身術なので、仕掛けられなければ自分からは絶対やりませんよ。

こんな感じで、すごーく楽しく勉強になる1日を過ごせました。
実は、ここ5日間くらい遅寝早起きの4時間前後の睡眠で、すごーく疲れてたんだけど、吹き飛びました\(^o^)/。
学生さんにありがとうございますって言われたけど、こちらこそありがとうでした


ここで、少林寺拳法についてちょっと説明しまーす♪
あいる自身も、はじめちゃんと捉えてなかった部分で知らない人が多いと思うから。
少林寺拳法は、日本人が日本で創始したものです。
だから、日本が発祥。
中国武術の少林拳とは、異なるんです。
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世界を救う神の教。

2006/11/18 08:22
あいるは、毎年新年に近くの神社でおみくじを買います。

いつもありがたいメッセージを頂きます。

2006年のおみくじの「神の教」、、、とても素晴らしいものでした。
壁に貼って、時々反芻していました。

2006年に限らず、生涯大切にしていきたい教えです。
普遍的な教えだと感じます。
世の中の全ての人々が、このご意志に従って生きる努力をすれば、世界は平和に向っていけると思うのです。


身びいき身勝手の事ばかりを考えて、我儘にのみ振るまえば、神様の御心に遠ざかって、神様から離れ、不幸を招く基となる。
常に思いやりの心深く、人を憐み、人を助けて、地上に平和の高天原を現すべく世界作り固めの御役目大事と働く事が、誠の神の教である。


※振り仮名の入れ方忘れちゃったので、今時点では読みにくくてごめんなさい。
あとで、ちょっと調べてから、振り仮名します。

ルビできませんでした(>_<)。
読み方に迷った方のみ、下記を参照してください。

身びいき身勝手(みかって)の事ばかりを考えて、我儘(わがまま)にのみ振るまえば、神様の御心(みこころ)に遠ざかって、神様から離れ、不幸を招く基(もと)となる。
常に思いやりの心深く、人を憐(あわれ)み、人を助けて、地上に平和の高天原(たかまがはら)を現(あら)すべく世界作(せかいつく)り固めの御役目(おやくめ)大事(だいじ)と働く事が、誠(まこと)の神の教(おしえ)である。
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人間関係〜言葉の受け止めかた。

2006/11/14 21:19
12日にダンスの発表会があった。

見に来てくださった方々のひとりに、高校1年生の時の担任で、今も交流させて頂いているH先生がいる。
H先生は、終了後すぐメールくださり、お褒めの言葉と今後に向けて「ここをこうすればもっと素敵になるよ」というようなアドバイスをくださった。

なんと、ありがたいことでしょう(*^。^*)。
でも、先生は最後に「生意気言ってごめん」と書いていたんです。
えーーーーーっ、なんで?
ありがたい限りで、余計なことを言われたとかそんな風には全然感じない。

きっと先生は、やさしくて気を遣われる方だからですね。
高校時代は、ご苦労(?)をかけました。
あいるは友人と3人、三羽烏といわれて、休み時間ごとに職員室に入り浸り、先生のとこへ遊びに行ってました。
今、思えば、先生は次の授業の準備もしなきゃいけないし、ホッと休みたい時もあったと思うのですが、いつも元気に笑顔で相手をしてくれてました。
そんな、先生のお人柄ならではの気遣いかなーと思います。

あいるは全ての方が、先生だと思っています。

そして、すべての人の言葉は、受け止めるほうの受けとめ方で、変わります。

だから、ダンスにおいても、素人であろうと見てくださった方は全て先生。
その感想にあいるを成長させてくれるものがあると思っているので、社交辞令ではない感想を言っていただくことを望みます。
これは、どんなに上達してトップにたったとしても、変えたくない自分の価値観です。

でも、本当に言ってもらうことを望んでいると伝えると、驚かれることも多いです。

うーん・・・確かにあいる自身も、相手に言う時には、相手をみて気を使うことがあるのも確かです。
大丈夫と思っていた相手から、意外な反応が返って来たこともあります。

あいるが言う時は、言ってあげないとその人が恥をかくだろうなーと思うとき。
そこを直せば、もっと上達したり、キレイに見えたりすると思うとき。
そして、物事を建設的にもっていくためには、非難ではなく、互いに批判的視点でも論議しあうことが大切だと思ってるため。
そして、そこには地位も権力も立場も関係ないと思っているため。

ダンスの場合は、お互いにいい合うことで、作品の質を高められます。
ただ、自分のエゴで言ってはいけない。
あくまでも相手を思い、作品をよくするという同じ目標で建設的にすすむことが大事。

そして受けとめるほうの感性や態度も大事。
指摘されたと悪く受けとめたり、自分は上手いんだから人にあれこれ言われる立場ではないと変なプライドだけが高い人もいる。
逆に、怒られたというように傷つく人もいる。

ヨサコイの時は、こんな出来事があった。
ふたてに分かれて踊った後、そのチームで知り合った友人に、今のあいるの踊りに気づく部分がなかったかしら?というような質問をし、その時返って来た友人の言葉がとってもためになった。

その友人は、本祭が終ってから、こう言ってきた。
「あの時、あいるさんが近づいてきて、今どうでした?って、素人の自分に聞いてきたからびっくりしたよ。あいるさんのように踊りが上手い人だから、踊りを注意されるかと内心びくびくしたのに、どうでした?って素人の自分なんかに聞いてきたからびっくりしたんだ。でもそれをきっかけに自分も頑張ろうと思えたので、とっても感謝してるんだ。」

その言葉を頂き、こちらが心底ありがたい気持ちになりました。
この友人の感性がとても素敵です。
同じことを言ったって、そう感じる人とそうでない人がいる。
素敵な人にここでもめぐり合えました。

看護師をやっている時には、患者さんが先生になることもあります。
また、患者さんによっては、治らない病気にイライラして、あいるにぶつけてくることも過去に何度かありました。
でも、あいるはそういう時、自分が責められたとは感じません。
そういう風に感じて、患者さんを嫌ったり、真っ向から受けとめてケンカする人もいるけど、患者さんは、辛い気持ちをぶつけるところがないだけ、それを自分にぶつけてくれたのは、信頼されている証拠だとあいるは受けとめるのです。
あいるは、“今、辛いんだなー”とか“怒りのやり場がないんだな”と感じて、全てをただ受けとめます。
あいるが、受けとめて、その方の気が楽になればいいと思うだけです。
でも、今まで出会った皆さんは、後から謝ってきて、さらに感謝の言葉を述べて下さってました。
こういう風に、結局は、感謝という言葉であいるが幸福を頂くことも多いのです。

でも、世の中、いい人ばかりではないですね。
そういう時は、やはり近づきたくない気持ちになります。
あまりにひどい人には憎しみや怒りを感じることもありますが、最近は「かわいそうな人…」と思うようにしています。
あいるはまだまだ未熟なので、イエスやガンジーなどのように、性悪な人も含めて全てを愛することはできないなぁ。



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認知症の方への対応。

2006/11/07 16:28
認知症の方のいわゆる“不穏”状態。
脳の中枢異常が直接関係している場合は投薬しかないこともあるが、周囲の対応に起因するものは、ゼロにしたいものです。

今回は、その対応についての具体例をあげて話します。
全て、ノンフィクションです。

事例1
Aさん、女性、年齢・・・たしか70歳代だった、認知症レベル中(脳血管性とアルツハイマー混合)、自宅で介護。
窓から近所の家をみて、「あそこに昔住んでいたんだ、2階のあそこが自分の部屋である」と言い張る。

家族は、本人に、“あの家はあなたの家ではない”と何度も説明し、いくら言ってもわからないとイライラしている。自分の親はバカになってしまったとの嘆きもある。

あいる(訪問看護師)の対応:
家族へ
話を傾聴し、イライラ・嘆き等の気持ちを受容する。その上で、認知症という病気についてや対応法についてを理由を含めて説明をすると同時に、目の前で下記のように対応して見せ、実際に本人が嬉しそうな表情をし、精神的に落ち着く様子をみていただく。
本人との会話一例
Aさん 「あそこに昔住んでいたの」「あれ、みえるでしょ、あそこが自分の部屋で・・・etc」
あいる 「そうなんですかー」「あら、Aさんの部屋の窓のところに置いてあるものなにかしら?」
Aさん 「あー、あれはね・・・etc」と嬉しそうに説明し始める。もちろん意味は不明だし、何度も同じ話を繰り返している。
その後は、ひたすら本人の話を関心を示して聴き、あいづちなど打ちながら、会話をしていく。 

事例2
Bさん、男性、80歳代、認知症レベル軽(脳血管性)、入院中。
夜の9時ちょっと前、病院での出来事。家に帰りたいのでと妻をさがしている。

あいる(病棟看護師)の対応:
Bさん 「わたしの妻はどこいった?」「(病院から)帰るから連絡とりたいのだけど」  
    ※注:妻はもう亡くなっています
あいる 「奥様は、もうお帰りになりましたよ」「Bさんは、病気の治療があるのでもう少し泊まっていってくれますか?」
Bさん 「そうか、帰ったのか。電話かけたいな。」
あいる 「電話ですね。(時計を見せて)もうこの時間なので、奥様はお休みになられたようなんです。明日、お電話したいと思いますが、いいでしょうか?」
Bさん 「そうだなー。もうこんな時間か。妻はもう寝てるんだな。じゃあ、明日頼むね。」
あいる 「はい、わかりました。では明日電話しますね。おやすみなさい。」

もちろん、ゆっくりやさしい口調・笑顔で、本人の反応を見ながら話を聴きながらの応答です。
Bさんは、翌朝には、全て忘れて笑顔で「おはよう」となります。

よくある×の対応:
奥様は亡くなっている、おかしいこというんじゃないなどと本人に言って聞かせる。
本人の話を聞かずに、もう消灯時間だから、寝なさいと指示し、無理やりベットへ寝せる。
不穏だと判断し、安易に薬で眠らせようとする。 


事例3
Cさん、女性、年齢80歳代、認知症レベル重(アルツハイマー型)、自宅で介護。
清潔の保持が困難になってきた。家族より、もう何日も顔を拭いてくれない。無理やり拭いたら怒るので、何もできないでいるとの訴えあり。本人は、もともとは身だしなみの意識が高い方。

あいる(訪問看護師)の対応:
あいる 「あら、Bさん、お顔に何かついているわ」
Cさん 「ほんとかい、どこだい?」と言って気にし始める。
あいる 「(用意しておいた顔を拭くぬれタオルを手渡して)これで拭いたらどうかしら。」
Cさん「ありがとう。どこだい?ここかい?」
あいる「そこ、おでこのところ」「あっ、ここも」などといい、最終的に顔全体が拭かさるように位置を伝えていく。
あいる 「きれいになりましたよ。よかったですね。」
Cさん 「よかった」とにっこり。

もともと身だしなみを気にする方だったので思いつき、この方法をやってみたら、本人が不安定になることなく顔面清拭が達成されました。
もちろん、今回の対応はあくまでも一例で、毎回通用するとは言えません。
そのときそのときの状況に応じて、認知症のケアは、このような工夫の連続です。


以上、3事例を上げてみました。
認知症の方が体験している出来事は、実際は事実ではなくても、本人の中では事実なのです。
ですから、それを違う!とただ説明しても、本人には“否定された”“怒られた”という負の感情が残るだけになるのです。
状態が軽度で、事実を説明することが必要で、かつ、本人の受け入れも可能な場合は、そうする事もありますが、いずれの場合もまずは本人の話をじっくり聴いて、受けとめることが前提となります。
また、状況に合わせて対応は変えていきますので、本に書いてあるからそれが正しいとか、以前効を奏したからこれがいいんだ、というような画一的なものはありません。
今、目の前にいる本人の中に、こちらがまず入っていくことが大切です。


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自分のお役目とシンクロニシティ。

2006/11/01 15:52
保健・医療・福祉職関係の正職員を退職して、数年がたつ。
そして最近、今後具体的に何を仕事としていこうかと考えている。

6月に神の啓示のように頭に浮かんだ次の3つが自分のキーワード。
「愛と人格(魂)の向上」
「自然を守ること」
「ロハスな人生」


そして、いま、読んでいる本の次の言葉でいろいろ考えている。

「大きな目標をもって事に挑むのは結構だが、一日一日、自分のやるべきことに果を求めずして最善を尽くす。これが大事。」
「誰にでも、前生からの自分の行為によって、自分自身で決めた能力・身体・好みなどに合った仕事というものがある。」
「この世に人間が再生してきた理由は、自分がしないといけない仕事を一生懸命にして、それを通して霊的(スピリチュアル的)な成長ができること、そして自然や人間全体が調和した状態をつくること・・・」
「自分に合った仕事ならなんでもいい、仕事に上下はない、生きがいだと思えるものを一生懸命にすればよい」
「しかし、人間が進歩できるひとつのコツは、自分の嫌いなこともするということ。好きなことはもちろんするが同時に嫌いなこともすると、いつの間にか自分が拡がっていく。」


そして、今朝、患者さんからの言葉が、シンクロニシティのように響いた。

@朝の検温に伺うと、いつも自分からはほとんど話をしないYさんが、あいるの顔をみるなり、突然自然破壊問題の話をし始めた。「世の中では、無駄な消費をしすぎている。京都議定書が締結されたって何もしていない。温暖化で地球の水位は上がっているし日本は沈没するよ・・・etc」。
それを口切りに、世の中の不正問題とか凶悪犯罪問題とか、どこかおかしくなっている人間・・・ということなどを話し合った。
 ↓
それを聞き、自分のお役目について、こう考えた。
今までやろうと考えていた”ひとりひとりに愛を与え癒す仕事”も大事だが、所詮ひとりでは数が限られるし狭い世界。それよりも、グローバルに自然環境問題に取り組むべきなのか?
今、おかしい方向へすすんでいる地球(人間)を本来の方向に戻す方法があるの?でも私ひとりで何かできる?

Aそしたら、次にナースコールで呼ばれた時に看護した後、Tさんがこう言った。
「あんたがいてくれて助かるよ」
 ↓
この時、こう思った。「特別なことはしてないのに、こんなに感謝してもらえるなんて・・・。こうやってひとりひとりに向き合うことは、狭い範囲かもしれないけど、癒しを与え人の役に立っている。こういう事が、本に書かれていた”自分に合った仕事”の一つなのかな?」

実は2日位前に、元いた職場に復帰して(福祉業界)意気揚々と仕事をしている夢をみた。
顕在意識で考えると、二度と会社員へ戻るつもりはない。
福祉の世界に戻るつもりもない。
政府が、障がい者・高齢者などへの弱者イジメ、そして私たち現場で真面目に働くものイジメのような法律をたくさんつくっているから、そのレールの上では働きたくない・やりたい事ができない、という気持ちが強いのです。
保健・医療の業界もしかりで・・・。


う〜ん、そんなこんなでますますわからなくなってきてます・・・。
でも、何か動いてみたら、また導きがあるかなっ。

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人は食べなくても生きられる?〜食糧危機への秘策?!

2006/10/29 21:46
今、日本に住む私達のほとんどは、多くの食の恩恵を享受していることでしょう。

食は天からの恵みであり、動植物の命です。
そのありがたい食を、多くの先進国も同様ですが、粗末に扱っている現状があります。
飢餓で亡くなっていく人々も決して少なくないのに・・・。

豊作のために大量のキャベツが廃棄されたニュースは記憶に新しい。
コンビニのお弁当などは、消費期限が1分でも過ぎたら捨てられてしまうという。
食を粗末に扱ったテレビ番組の数々・・・。
山菜取りで根っこまで掘り起こす心ない人々の行動。
上げればきりがないくらいのひどい現実があります。

だからといって栄養状態が良好かというとそうではなく、食事とはいえない食品ばかりを食べ(ジャンクフード、エンプティフード)、飽食の時代の栄養失調がはびこり、それに伴う数々の問題が生じている現状もあるのです(例えばキレやすい脳と凶悪犯罪との関係など)。

いつかは天(自然)からのしっぺ返しがくるでしょう。

人は食から生きるためのエネルギーを頂いています。
では、どの位の量が必要なのか?
おそらく自分も含め、現状は、摂り過ぎが普通になっていると思います。

人は食べなくては生きられないというのが今の常識ですが、食以外からエネルギーを頂き、何年も食べずに生きている人々もいます。
詳細は→  http://x51.org/x/05/01/1506.php

日本におもしろい人がいて、あいるはこの本も読んでみました。
http://www.chiebukuro-net.com/fusyoku/

あいるはこういう記事や本を読んで、全ての人間がこうなれば、食糧危機も無駄な殺生も飢餓もなくなるのに、と真剣に考えちゃいました。
そして、食糧危機問題という言葉もいらなくなるだろうなぁーと。

でも、今の段階では現実的に考えて、全ての人間がこのようになるのは困難でしょうね。
せめて全ての人間が食に感謝し、不必要な殺生や食の廃棄などがなくなることを願います。

でも、この「不食」
完全とはいかないまでも、究極の少食レベルならできるかも?!
と、試してみたい気持ちがあって、実はトライしてみたことがあるんです。

目標は、「完全な不食ではなく、からだが必要とする最小限の食で維持できるからだをつくる」=「少食の食習慣を身につける」におきました。

結果は・・・
ひとりだとモチベーションが維持できず、誘惑にも負けて、すぐ諦めてしまいました(>_<)。
でも、仲間がいれば、できそうな気もするの。
だから、誰か一緒に試してみてくれる人いないかなぁ?


試してみる場合は、以下の点を必ず守る必要があります。

・はじめる前に、きちんと自分自身でも更なる情報収集をした上で、トライするか否かの最終決定をする(自己責任を認識する)。
・ダイエットではなく、健康維持や自然の摂理に従った食習慣を身につけることに目的をおく。つまり、自分のからだをいつくしみ健康と美につながる形で、食の恩恵に感謝しながら行う。
・病気がある方は、専門家に相談する。
・健康状態を定期的に確認する(主観的、客観的ともに)。
・無理をして、からだに悪い状態となれば本末転倒なので決して無理はしない。









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福岡中2自殺事件・・・同級生のありえない反応・・・

2006/10/23 22:00
22日の北海道新聞朝刊に次のような記事があった(抜粋)。

福岡県筑前町の中学二年男子生徒による自殺事件で、同級生の一部のグループが、一年前からたびたび、「死ね」「うそつき」などと生徒をののしっていたほか、自殺後も学校で「せいせいした」などと口にしていたことが二十一日、複数の関係者の証言で分かった。
 〜中略〜
また、自殺後も「せいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」「おれ、のろわれるかもしれん」などと校内で友人に話したほか、
十三日の通夜の席では、笑いながらひつぎの中を何度ものぞき込む姿も目撃されている。 〜以下略〜

これを読んで、怒りを通り越して具合が悪くなってしまった。

特に、太字の部分が本当だとすれば、この同級生の人格は荒廃しきっている。

いじめを誘発していた男性担任教諭への処分問題もそうであるが、学校側はあまりにも軽く考えていやしないだろうか?
この同級生のような生徒に対して、今まで何の問題意識ももっていなかったのか?
そして日ごろの教育では何をしていたのか?

日ごろの言動をみていれば、その生徒がどんな考えをもっているかなんて容易に観察できると思う。
まして、今回は自殺後には上記のようなはっきりした言葉を複数の人が聞いている。

この言葉を聞いて保護者や学校側はどう感じているのだろう?
そして、今後どう向き合おうと思っているのだろう?

大人がこんなんじゃ、子供をよい方向に導けるはずがない。

こんな現状、もう救いようがないと、世の中が嫌になってきた・・・。

だめだめ、あいるがネガティブになってどうするの!と自分で自分を一喝するけど、今日は気分よくないです・・・。



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核保有問題。

2006/10/19 18:15
核爆弾、この世から消えてほしいです。

なぜ持つのか、持とうとするのか?
それは、弱さゆえだと思う。
弱さを補完するために核爆弾を持つ。

だから、ただなくなるだけじゃだめ。
人間が、真に強く賢くならないと、また同じことが起こる。
扱う人間が変わることが、最重要だと思う。

包丁だってそう。
包丁が殺人の武器に使われたとしたって、包丁の存在が悪いわけではない。
それを扱う人間が、包丁を悪の目的に使用してしまっただけ。
普通に使えば、おいしい料理に欠かせないものでもあり、人間に恩恵を与えてくれる。

じゃあ「ほんとうの強さって何だろう?」
少林寺拳法の教えでは、「本当の強さ」とは、相手を倒す強さではなく、しっかりした自分、頼れる自分、生きる力のこと、とある。
まさにそう感じる。

しっかりした自分、確固たる自分があれば、何があっても恐くはない。

「じゃあ、確固たる自分である時、どういう自分であることが望ましいのか?」

あいる的には、やはり、全ての人間が、自分はスピリチュアル的な存在であることに気づき、この世に生を受けたことに感謝し、自己の魂の成長を目標に、大宇宙の法則に従って生きることが望ましいと思う。

人間がこの世に生まれた目的を、魂の向上のための修行と考えて、生き抜くこと。

悲しい事に今は、この目的を見失ってる人が多いようです・・。
だから、核爆弾を日本も保持するなんて発想もでるし、他の国の核保有は認めないが、自分達だけは、保有し続けるということも行っている。


あっ!いま、あいるはとっぴょうしもないことを考えた!
いいや、すごーく現実的でいいアイデアだよ、って誰か言ってくれないかなぁ。

それは、人間が出す気のエネルギーの活用(気という言い方が適切かどうかはわからないけど、今は理解しやすいと思うのでそう表現します)。

気のエネルギーは人の病気を治したり、機械にも何にでも伝わるという。
実は、これにもいろんなレベルの気エネルギーがあって、そのランクは天と地の差があるの。
最高級の気エネルギーは、実はその人が出しているのではない。
その人が宇宙と一体化したときに、その人のからだを通して発せられる。
そして、そのエネルギーには、時間も物理的距離も関係がないという。

だから、あいるが最高級の気エネルギーを出せるようになったら、そういう仲間をたくさん集めて、核爆弾に想念を送って、一瞬で無毒化しちゃおう(^^)v。
そして、人間の記憶からも「核」を消しちゃって、代わりに、本来の目的を思い出せるようなヒントを植えつけちゃうよぉ(最初から全部を植えつけちゃったら、その人の成長を止めちゃうからね)。



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素敵な祈り(*^。^*)

2006/10/16 09:47
素敵な祈りの言葉を知ったので、ご紹介致します。

原文は、ちょっと霊的というか宗教的な印象があるので、五感の偈の要素も加えて、現代人にも合うように、あいる流に加筆・修正しています。

食事の前に・・・

その食事の上に、手の平を下にして両手をかざす。
 ※人と一緒でやりにくいときは省略してもよい。
 ※手をかざすのを省略した時には、お祈りの(  )内の言葉も省略する。

そして、心の中で、もしくは声にだして、次の言葉をお祈りします。
感謝と愛の気持ちで、心の底から祈ることが大切です。

「この食べ物が、(手からの波動によって清められ)、私のからだと心をそのエネルギーで満たしてくれますように。空腹で満たされるだけの食べ物がない全ての人々が、この食べ物と結び付けられ、恩恵を分かちあうことができますように。」
「ありがとうございます。いただきます。」


このお祈り、特に「空腹で満たされるだけの食べ物がない全ての人々」へのくだりがすばらしいと感じました。
平和で満たされた環境にいると、世の中にはこういう人達がいるということを、つい忘れてしまいます。
自分もそのひとりだから、自分だけでなく、全世界の幸せを常に考えられる人間を目指して、今日からお祈りしたいと思います。

エネルギーには、物理的距離も時間も関係ないので、スピリチュアル的には、本当に恩恵を分かち合うことができるとも思うのです。。。







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